9 代
ホヨ鉄道の話
去年、ミリ国の鉄道について考えてたときのネタを今頃放出

というか俺文章かくの下手だなw
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現在、ミリ国のほとんどの鉄道は、ときどき遅れるし、そこまで過密じゃないし、まぁ普通の鉄道です。
一つの鉄道会社を除いた話なのですがね。
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16世紀小さな鉄道会社が次第にまとめられていたミリでは、selsis uojok首相のとき1596年に国鉄に鉄道会社がまとめられた。
イギリスとかと違って、当時のミリの私鉄供は、地方ごとでめっちゃ頑張ってたやつらばっかでした。イギリスとかは鉄道
狂フィーバーとかで同じ都市同士に違う会社が線路引いて競合とかしてたらしいけど、ミリ国ではミリ島の東側では競合してたけど、西側と北側はかなり穏やかだった。だから、東西を結ぶ高速な路線がなかった。
そのときに国鉄がまとめれた線路をうまーいこと統合して当時の中央幹線「国鉄中央幹線(stoi-liim ojde)」とかいう路線を作ったわけね。東の競合でできたスピード技術で西まで直通エイヤッサー。というわけだ。
んでその路線がこちら↓
【画像】
地図は適当なので結構ずれてる
1.koae 2.sayo 3.toio 4.hoyo 5.hocoko 6.uye 7.ceyo 8.tohohu 9.tososo 10.soga
さて、ここで注目してほしいのが1-3の路線。
&bold(){なんかめっちゃ遠回りしてね?}と思ったあなたは正しい。
近道の方の1-3の直線区間は人口が希薄で、小私鉄が多かった西部ではそんなところに線路を通す私鉄はすくなかった。
だけど、遠回りのサヨの方は人口が多いってほどでもないけどいたから、こっちの方に私鉄があって、国鉄がそれを吸収したので遠回りになってると。
【画像】
でも、人口希薄地帯にも都市はあって鉄道があったと。ミリも多少鉄道狂時代でしたので。
↑の画像で

青.レン鉄道 黄.ファーモイ鉄道 赤.ホヨ鉄道
この3私鉄は国鉄に吸収されてなかった。
レン鉄とファーモイ鉄道は国鉄ができても別に特にかわらなかったが、
ホヨ鉄にとっては自社路線との競合路線であるトイオ-ホヨ間(一番↑の地図で3-4間)で、国鉄のスゲーのが投入されてスピードうpになったら、&bold(){やべぇ}
しかもホヨ鉄にはスピードうpできるような金や技術がなかった。
でもホヨ鉄は国鉄に勝たなければいけなかった。(とこのころから思い始めたらしい。)
【画像】
で、ホヨ鉄は&bold(){なぜか超田舎地帯に線路を引いてファーモイ鉄道(黄)に乗り入れれば国鉄に勝てるんじゃね?と思った}
【画像】
んで、1620年ぐらいに頑張ってなんとか延伸したころにはファーモイ鉄道の経営が傾いていて、合併。また同時期にホヨ鉄はレン鉄に乗り入れる線路まで引いちゃったけど、国鉄が競争しないとやっぱダメなのか、速度うpしなくなったりしたのが原因で&bold(){ホヨ鉄がコアエートイオ間で早く着くようになる}
んで、このころからスピードうpにのりだして、ホヨ鉄はなんか100kmぐらいでるようになってきた。なんか地味に頑張ってる。
当時は本数が少なかったから、単線区間ばかりでも国鉄には勝てたし、まぁよかった。まぁそいつらがあとでミリ国一の変態鉄道になる原因になるんだがな。
その後、レン鉄もホヨ鉄に吸収されて、ホヨ鉄は路線延長や、スピードもうpされて、国鉄ざまぁw状態だったのだが、
1657年、国鉄高速中央幹線が完成する。高速幹線は国が「エヴェンサとか200km/h出せない言ってるのに、ミリ国交通他の国に比べて遅れすぎワロタw」ってことでやりだした国家プロジェクトなんだが、&bold(){ミリ国では一番速い160km/hではしるーの、国家プロジェクトなのでなんかすごい路線綺麗ー}というもうなんか欠点なさすぎだったので、ホヨ鉄がまたもやヤヴァイことになってきたと。
また、人口も増えてきて、国鉄では線路の複線化とか列車の本数増えたりとかしてた。高速幹線も作ってた。しかし、&bold(){ホヨ鉄はなんか線路拡張する余力ない&国鉄の特急速度上がりすぎw&乗客増えたなw本数増やさんとかんのに線路単線ばっかとか不便w}というねw高速幹線は実はあんまり影響がなかったんだけど、国鉄の特急の方が本数も多くてホヨのオンボロではないし、沿線人口が多いって明らかにもうなんかホヨ鉄お疲れさまでした。という状態。

でもここで諦めるホヨ鉄ではなかった。17世紀のホヨ鉄の涙ぐましい努力と変態さによって、ホヨ鉄は凄い鉄道会社になります。
〜ホヨ鉄の涙ぐましい努力〜
?速度うp
ミリ国のモーター技術はフィベナの底辺中の底辺中の底辺だった。だからナムサやエヴェンサの技術を少し盗みに行ったと。高速幹線が180km/hをようやく出せるようになったとき、ホヨ鉄は140km/hだせるまでに進化していた。ちなみに当時の国鉄特急は120〜150km/hぐらいなので、速度での問題はなくなる。(ちなみに最終的にはホヨ鉄は160km/h)で運転するので、国鉄特急の最高速度を抜いてしまう。
?全線電化
国鉄がトイオーホヨ間を電化しないままだったのだが、ホヨ鉄は全線電化し終えた。ちなみにホヨートイオ間から電化したらしい。
?ホヨ鉄特急

huga syel hoyo(ホヨの風)という特急ブランドを生み出す。hugaは元々風の意味しかなかったんだけど、ホヨ鉄のおかげで特急列車の意味も持つようになる。(それまでは特急はsiipiiでまとめられていた。つまり速い急行っていう扱い。)
で、その半面

〜涙ぐましい努力によって起こった弊害〜
○複線化がぜんぜんすすんでない
車両の速度うpして全線電化して特急車つくって……ってやってて、複線化が全然すすんでない。しかも、航空便とかの台頭でもうなんか鉄道ピンチ。不便だとやばい。
ということでホヨ鉄もやばいと思ったのか複線化しようとするんだが、用地買収ができないところも多かった。なので、&bold(){必要最小限の用地でなんとかやりくりしないといけない駅や線路が出てきてもしょうがないよね}ってことになる。1950,60年代の話ねこれ。
で、その変態さ何だが。現在ではだいぶ解消されつつある。特にコアエ駅。1950年ぐらいは、本線の終点で、利用者最大のくせして2面3線でさばいてたんだから驚き(ミリは日本なんかよりモータリゼーションが早かったので、そこまで人多くはないんだけどね。)
でも、そのコアエ駅も今では3面6線になってて、かなり便利になってる。
でも、当初から一切かわらない駅が一つだけあったのだ。それがトイオ駅。
なんと、創業当時から1面2線のままのくせに、特急停車駅だし、連結はするしのオンパレード。北は国鉄の敷地。南は既に発展していてこわせない。なのでホヨ鉄の変態さはこのトイオ駅で発揮される
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トイオ駅は3つの鉄道会社が駅を有している。国鉄,トイオ鉄道,ホヨ鉄道。
トイオ鉄道は国鉄から分離した形の企業なので、国鉄とホーム同じ。
で、ホヨ鉄トイオ駅は北側が国鉄南側は駅前の土地で1面2線しかもてない。
そんで、ホヨ鉄は20分サイクルで回ってる。
トイオ駅で20分でさばく列車は以下のとおり(朝)
コアエートイオ急行 1本 
トイオーホヨ普通 1本

コアエーホヨ 特急 1本

レンートイオ 普通 1本

レンートイオ 特急 1本

トイオ-トイオ空港 普通 1本

トイオ-トイオ空港 特急(または急行)1本

ファーモイ-トイオ 普通 一日に5本程度

つまり、20分で1ホームあたり6〜7本

ここまでならまぁ、いいじゃんと思うじゃん。
(ここからはこんどかく)