8 代
ミリ国英雄備忘録
トホチェ

664年ヌエの町の貴族の子として生まれた
小さいころから聡明だったらしい
ヌエはコアエ領だったのだが、コアエ国の王が大陸外来宗教ヨスナ教に傾いていた。
16歳の時当時の王radiに反抗するためのyons ritaaの集団リター派の弟子となるが、リターの思想ではコアエを正しい方向に導くことはできないと悟り、独特の民族主義を唱える。
hoce29歳のとき、ソロム革命が起こる。一時的にコアエ神殿を占領したが、捕えられる。
しかし、hoceと愉快な仲間たちは逃げ出すことができた。
ホチェは自分の民族主義をこの世に実現させるため、後をついてくる弟子とともに太陽の昇る方向へと進んで行った。(トホチェ誌にそう書いてある)
たどりついたミリの地でソロム王国を建国した。
hoceは712年48歳で建国宣言をしたが、近隣国のオオエ国ともめて戦争し、勝利、占領。
その後左手が麻痺し、王位を息子に譲る。
716年英雄はこの世から息をひきとった。つまりそう……死んだのだ。

トホル トホチェの息子
717年にチェヨ占領
720年にホヨ、タルサイとミリ同盟を組む
当時、北部ではピプォ侵入に対してロタ、コアエが本気で抵抗していた。
726年モコ侵攻

コアエ領モコに侵攻。当時コアエは「ミリ国は外来ピプォを共に倒してくれるに違いない」と思ってたらしくあっさりやられる。
732年他界

トノエス トホルの長男

742年レン侵攻

コアエ領レンに侵攻。コアエはソロム建国時の半分の領土をミリとピプォにとられてる。

トソガ トホルの次男

745年トイオ侵攻

コアエ国がミリ領トイオに侵攻。
トソガは封建体勢を強化し、強兵化しようとした。
748年トイオ奪還
755年カニオソ占領
762年ビフリート・カニオの戦い
ビフリート占領→カニオ占領→コアエ敗北

んで同じころ、ロタ国の努力でピプォが弱くなってきたのと、ミリによるエオエピプォ封鎖によりピプォの勢力が弱まるというか、ミリから離れる。

トホメ トソガの息子
765 ピムペ南下
コアエ地方にピムペが南下し、一時的に占領
  →すぐに追い返す

767〜771 ピプォ戦争 なんとかミリの勝ち
ロタと仲良く倒したのですが、この戦争でかったあと、ホヨ、タルサイ占領で実質ミリ同盟がミリ国になった。んでロタも次の王が侵略する。
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というのが統一の歴史でしたとさ。
ちなみにso(国)+e(複数)のsoeはもともと同盟の意味だったので、soe miriは「ミリ同盟」という意味だったが、今では「ミリ国」と、国の意味で使われることを今更補足。